nofuture

今を生きる

日本語は奥が深い

「日本語は奥が深い」

よく聞く言葉です。

「日本語」と言っていることで外国語と比べた上での意識に感じられます。

実際「これは英語には無い表現だよ(ドヤァ」「世界一難しいんだよ(ドヤァ」みたいに言う人もいますよね。

ただそうゆう事言う人に限って英語(又は他言語)が話せない事が多い様に思う(笑)

複数言語を全て同じレベルで話せて、実例を挙げて証明してくれたなら納得できるのですが。

 

以前に観た映画で気になった表現がありました。

ダークナイト

ダークナイト [DVD]

ダークナイト [DVD]

 

 

ヒロインがバットマン(=ブルース・ウェイン)の執事に

バットマンへ手紙を渡して欲しいと頼むシーン。

その時執事がそれをいつ渡せばいいのか尋ねた事に対するヒロインの答え。

 

日本語字幕「読めばわかるわ」

英語台詞 "It's not sealed"

 

おわかりいただけただろうか。

 

英語での意味は「封はされてないわ」

つまり「閉じてないから読んで」って事なんですね。

 

別に字数もほぼ変わらないんだからそのままの表現使えばいいじゃん!

日本人そんなに馬鹿じゃねーよ!って思ったんですが、でも普段そんな婉曲表現使ってないですもんね。

こんな身近で簡単な例で覆される奥深さよ。

 

しかし日本語は話し手、書き手の意図する事を非常に細かく表現できるのも事実です。

私、僕、俺、我輩、拙者、わし、オラ、あたい、妾(わらわ)、朕(ちん)、etc

日本語は一人称だけでこんなにあります。

どれを使うかで性別、年齢、地域、時代、地位まで表現できます。

それに情感表現なども組み合わせれば話し手、書き手の感じている事ですら事細かに表現する事ができます。

それは奥深さの所以と言えるでしょう。

そしてその言葉の細かさの分意識の共有ができた為に日本人の協調性が育まれたのではないでしょうか。

日本語こそがこの国を「和の国」たらしめている要素かもしれませんね。

でも日本語は表現が細密過ぎるせいで受け取る側の解釈の余地があまり残されていないように感じます。

 

それに対して英語で一人称は" I "だけ。他の表現もシンプルです。

ただしその分受け取り側の解釈が大きく個人の意識、感情が反映されやすい。

その為多様な思想が育まれた様に思えます。

 

言葉はどれもその土地の文化、環境を反映しています。

どの言語にも他では訳せない表現がある事は忘れない様に。

そしてそれらを学んでいくことで新しい考え方を知る事ができ、逆に自国の言葉、文化を改めて見つめ直す事もできると思うのです。