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今を生きる

あなたの差別容認認定はどこから?

mainichi.jp

 森さんが自らの女性蔑視発言でオリンピック組織委員会長を辞任しました。

それ自体は良かったのですが世界的に批判が高まったことによる外圧の方が大きかったので、日本もまだまだだなと思ってしまいます。

その証拠に日本では擁護する意見が相次ぎました。

 

www.sankei.com

 

news.yahoo.co.jp

はい。僕はこの人たちは同意見、同意識だと認定します。

女性蔑視の傾向ありと思うことにします。

ところでその差別発言支持者認定はどこまで含めることができるでしょうか。

組織委員会で辞任を引き止めた人。

何も言わなかった人。

その下で運営に関わっている人。

出場選手。

ボランティアで参加する人。

チケットを買って応援に行く人。

テレビで観る人。

それを考えていく内に似た問題が最近あったことを思い出しました。

DHC会長による人種差別発言です。

bunshun.jpこれまでの活動からしても差別意識を持っているのは明らかです。

組織のトップが差別発言をするという点で同じ事例であり、その姿勢を支持している人はどこまで認めることができるのかと考える時にも共通点があると思います。

これは果たしてトップだけの問題でしょうか?

会社で働く一般従業員はどうでしょうか。

商品を買う人は?

会社として経済活動を行う上で差別を発信し続けています。

そこに参加し支えているという責任はないでしょうか。

それとも生活を犠牲にしてまで反対するべきでしょうか?

 

他の問題でもそうやって考えていく内に自分も含まれることがあるでしょう。 

その時あなたは自分の立場をどう表明し行動しますか?

GoTo政策はコロナを拡大させたのか?

GoTo政策が中止されてしばらく経ちましたが感染者数は増大し続けています。

以前からGoTo推進派はGoTo政策がコロナ感染を広げることはないと主張しています。

ですが僕は関係はあったと考えています。

確かにGoToの利用者に感染者は少なかったかもしれません。

GoTo政策が影響を及ぼした部分とは「雰囲気」だったと思います。

GoToは旅行や会食を推進する活動です。

それをテレビやSNS、街で出歩いている人たちを目にする中で「ああ、遊んでもいいんだ」と考える人が増えたことは想像に難くありません。

そうやってGoToを利用しない人にまで外出させてしまう雰囲気を作ったことによって感染が拡大したのがこの第3波だったのではないでしょうか。

だから今回GoTo政策を中止してもしばらくは出歩く人がいたことによって感染者の減少も遅れているのです。

緊急事態宣言を出すことで出歩きにくい雰囲気が作られれば 感染者数は抑えられるでしょう。

逆に言うとその雰囲気が出なければ減ることはないということです。

(この辺のマクロな視点は社会学とかやってる人だったら理論とかわかるんでしょうけど僕は全く知識がないので「思う」程度です)

 

ちなみに僕はGoToに対しては賛成でも反対でもありません。

正直なところ何が正解なのかわからないからです。

コロナの抑制と経済の悪化はセットになってしまいます。

外出を極端に減らしてコロナの感染を抑えたとしても、企業や事業者の破綻があれば悲劇につながることは確実です。

両方救える対策とは一体どうやればいいのか僕にはわかりません。

よく批判されている事業の丸投げも実は妥当なのではないかと思います。

もし委託しなかったとしたらそれは役所がすべてやらなくてはいけないことになるのですが、役所はすでにコロナの対応で膨大な業務を抱えており、そこからさらにやることが増えてしまえば公務員の負担は過酷なものになってしまうでしょう。

しかも専門外のことであればなおさらです。

なのですぐに対応できる業者が代行することはリーズナブルに思われます。

(でも毎回中抜きするような一部企業にだけ集中するのは利権構造でしかありません)

というわけでGoTo政策に対しては完全に間違ったことだとは言うことはできません。

しかし上手くいっている国を見習ってPCR検査の拡充を図るべきだったことは批判すべきですし、今後対応すべきことでしょう。

現時点までの日本の問題点は「一度決めたことを変えることができない」「全体の空気感が行動を支配してしまう」ということなのではないでしょうか。

それらが合理的な思考・行動を邪魔してしまって感染が拡大しているのだと思います。

日本は政府も国民も「俺たちは雰囲気でコロナ対策をしている」状態です。

  

 

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政府はなぜコロナ対策で本音を言えないのか

もう大分前ですがGoTo政策が停止されました。

東京の感染者数が1,000人超えたらやめるのかなと思っていたので意外でした。

まあその後すぐに1,000人超えましたけども。

しかし中止した動機としてはこれまで考えていた通り感染拡大防止のためではありません。

支持率低下防止が主な理由でした。

これは裏返せば病気自体に関してはまだ許容範囲であるということです。

ではなぜ政府は感染拡大を覚悟して経済を回すと言えないのか。

それは新型コロナウイルスによる死者が出ることを認めなくてはいけなくなるからです。

現在のところ死者に対して残念であるという姿勢を取っていますが、全体としては数字で見ているはずです。

それは毎年のインフルエンザでの死者数と比べてもまだ少ないので、実被害として天秤にかけたらコロナの方がマシだと判断しているのではないかということです。

コロナの影響による経済崩壊での自殺者もすでに増えており、緊縮政策が続いて企業倒産が続けば自殺件数はさらに増えることでしょう。

その死者の年齢、労働力も計算に加えているはずです。

つまりまだ働けたはずの人が亡くなる方が痛いということです。

だから緊縮につながるコロナ対策を積極的に行わないのです。

しかし命を比べる、命を生産性で語るということは人として、心情的にはあまりに冷淡であり個人レベルでは受け入れがたいことなのでその本音を伝えてしまうと怒りは政府へ向けられることになるでしょう。

政府はその場しのぎの対策しか打ち出していない、迷走しているように思える人が多いとおもいますが、実際のところはその本音を隠しているから行動に意思を感じ取ることができず方向性が共有できていないだけなのです。

というわけで以上のことを政府が考えているという想定で今までの施策を振り返ってみるとなぜそうしていたのか腑に落ちるのではないでしょうか?

本当は真意を国民へ伝え国民が議論する方が社会としては成熟するのかもしれません。

その上で最善の(最大公約数でしかないと思いますが)対策をみんなで協力し、一つの方向を向いて行うと良い結果も生まれるように思えます。

 

 

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コロナウイルス対応の今後

 

発生報告から1年が過ぎてもなお収まらないコロナウイルス感染ですが、日本社会は今後コロナとどう付き合っていくのでしょうか。

勝手に想像してみました。

 

まず政府の方針としては「経済優先」になるでしょう。

というか今がほぼこの状態なのでそれが加速するということになると思います。

それは日本政府の態度から読み取れます。

world24pong.hatenablog.com

 ではどうやってさらに経済を優先するかといえば「コロナを普通の病気として扱う」ことによって行動規制を緩和していくのではないでしょうか。

感染症としての指定段階を下げ、インフルエンザと同じくらいの扱いとするはずです。

そうすることによって人々の意識の上で扱いが変わるのです。

今までとても怖い、大変な病気だったものがインフルエンザと同じくらいの病気として認識されることでしょう。

実際には感染すれば変わらず非常に激しい症状を伴うのでしょうが、まあ毎年インフルエンザの方が人死んでるしねって感じで恐怖感が薄れると思います。

そう、一番の変化は「人々の意識」なのです

ワクチンが完全に出来上がるのはまだ先になるでしょうが、結局気持ちの上での変化が大きいと思いますし、また人々の意識を変えることは簡単だと思います。

それは「メディアでの報じ方」で実現するでしょう。

毎日感染者が何百人出ましたということについて各テレビ局で取り上げ、コメントすることが減っていき、天気予報のように画面の上に字幕で出るだけになったりするのではないでしょうか。

そうやって人々の興味と共にコロナウイルスの脅威は徐々に薄れていきます。

そしてこれもすでに起きつつある変化です。

街に出てみるともう人出が多いですし、飲食店を覗いても時間帯によっては満席に近くそれぞれ普通に食事しています。

もう皆心のどこかでは(今まで大丈夫だったしいいか)ということになっているのではないでしょうか。

それを政府が指定の格下げによってお墨付きを与えるかどうかが問題というところに来ていると思います。

そしてこれは8月から検討していたようです。

www.saga-s.co.jp

この指定緩和によってコロナ感染者も重篤な人でない限りは自宅療養が基本となり、医療機関への負担も軽くなるでしょう。

それが日本政府の医療従事者へのサポートなのです。

今後は国内の死亡者数や海外の状況を見ながらこの方向で進めていくと思われます。

その際大事なのは基本的な対策としてのうがい・手洗い・マスクの継続的な呼びかけ、または屋内施設でのマスクの義務化。

企業へのリモートワークの定着を推奨することです。

政府はこういうところでリーダーシップを取るべきです。

僕が今でさえ弱い政府の対策でさらに不安に思うのは「海外観光客の検査無しでの受け入れ」です。

観光産業や海外と取引のある企業、航空業界へのサポートということで緩和しつつあると思います。

特に航空会社へのダメージは非常に大きいものですし、その航空会社は日本社会、産業にとって重要な存在でもあります。

しかし国内で抑えたウイルスをまた新たに受け入れてしまうことになりかねないので、かなり危険な行為であると思われます。または海外へ拡散する可能性もあります。

これだけはまだ慎重になった方がいいのではないかな。

きっとオリンピックへの布石でもあるのでしょうがそれももうきっぱりやめるべきでしょう。

news.yahoo.co.jp

追加経費2940億円って。。。

前は1000億とか言ってたような気がしますがなぜこんなにお金かかるんでしょう。

さっさと損切りしてその分の予算を医療従事者や航空会社へのサポートに使えば国内で早く抑えることもできそうなものなのに。

ただこれは断言できますがもしオリンピックが開催されれば「コロナが辛かったから感動した。よかったよかった」で終わると思います。

残念ながら民衆というのはそんなもんです。

 

というわけでコロナ対策は死亡者数が極端に増えない限りはこの路線で緩和されるのではないかなと思います。

放送大学で社会の仕組みを学ぶ

最近radiko放送大学のラジオ講義を聞いています。

その中で西澤晃彦教授の「人間にとって貧困とは何か」を毎回聞きます。

声が落ち着いていて聴きやすいですし、その重みのある声と合間に入るハリーポッターみたいな音楽がぴったりでちょっとホラー感もあります(笑)

radiko.jp

https://www.wakaba.ouj.ac.jp/kyoumu/syllabus/PU02060200211/initialize.do

 

そして最近話題になったこのニュース。

blog.livedoor.jp

ニュースに対するコメントを含め完全に講義で解説されていた内容でした。

貧困に陥った人にはスティグマ(烙印)が押され、他者が行動を規定しそれを外れた者は非難されるそうです。つまり貧乏人は貧乏人らしくしろと。

まさにこのニュースに対する反応ですね。

その批判、嘲笑は貧困層同士でも行われます。

抜け出そうとすると無駄なあがきだと思われてしまうそうです。

また貧困家庭に対しては貧困が遺伝であるかのように評価されます。「親があんなだからね」みたいなことです。

こうやって構造を知るとニュースを冷静になって見ることができます。

それは自分の感情、思考も含めてです。

今までニュースを見て感じたこと、考えていたことは社会が包括する価値観だったんだということもわかります。

自分の考えは自由意志のように思っている人の方が多いのでしょうが、実は社会構造の型にはめられたティピカルな思考回路なのです。

それがわかっただけでも自分にとっては大きな収穫でした。

反射的に他人をジャッジしてしまわないようにこうやって学ぶことは大事だと思います。

というわけで食費5万円のニュースに批判的な人もこの講義を聞いてみることをおすすめします。

 

全国エリアで放送しているはずなので上記リンクがダメでも自エリアのラジコ等で聞いてみてください。

 

第11回で印象に残ったこと。

日本は総中流社会というイメージがあるがイギリスと同程度の階級社会である。

 

第12回で印象に残ったこと。

女性は職業において排除されることが当たり前みたいになっているが結婚によって貧困から逃れることができることが多い。

しかしそれは貧困予備軍であるということ。

離婚して母子家庭になればパート職にしかつけず貧困が固定化される。

 

第15回(最終回)

めちゃくちゃ痺れた。

最初から最後まで大事な考察。

社会と私たちを表している。

「個人化」

日本政府のコロナ対策はメッセージを読み取らないといけない

日本全国の各都市でコロナウイルス感染者数が過去最大を記録しています。

GoToトラベル、イートの効果がばっちり出ていますね。

でもそれらの施策を取り下げることもなく注意を呼びかけるだけ。

今までもずっとそうですが効果的な対策は何もしていないように思えます。

なぜなんだ?おかしいだろと思っている人も多いでしょうが、もうその姿勢からわかることがあります。

はっきりとしたことは何も言いませんがそこにはメッセージとして読み取れることがあるのです。

とても日本的なコミュニケーション方法だと思いませんか?

言わなくてもまあね、わかるよね。みたいなやつです。

では政府の考えていることとはなんなのでしょうか。

それは「感染者増大覚悟で経済を回す」ということです。

本当に感染者を抑えようとしたらGoToはできませんし、企業にも出勤の抑制を指示しないといけません。

こんなに感染者増えているのになぜ対策しないんだ!おかしいだろ!と思ってしまうのは感染者を抑えることを第一に考えているからなのです。

よく運転にたとえて「ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる」という表現がされますが、日本政府が呼びかけていることは「シートベルトをして運転してね」ということです。

自分たちで気をつけて遊びに行ってお金使って欲しいというのが本音なのです。

その意図を読み取れば今までの日本政府の対応は全て合点がいきます。

ただ納得できない人もいるのでそれをはっきりと言いません。

だからやっていることに矛盾を感じ批判が出ます。

 

ではなぜ感染拡大防止を第一にしないのかというと「大した病気ではない」と考えているからでしょう。

日々増える感染者に目を奪われがちですが累計ではすでに8割が回復しています。

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死亡者も出ていますが毎年のインフルエンザによる死者数よりも少ないと言われています。

このデータからぶっちゃけ病気としては軽く見ているということなのでしょう。

後遺症の問題も多く言われていますが政治家は人間を数字でしか見ないので比較すると大したことがないと考えているはずです。

 

このように、迷走しているように思える日本のコロナ対策は

「感染者増大覚悟で経済を回す」「大した病気ではない」

と日本政府が考えているという姿勢が読み取れます。

そのメッセージを受け取った上で、じゃあ自分はどうするかを考えなくてはいけません。

政府が感染拡大防止を第一にするということは現状では期待できないからです。

マスクをする。うがい、手洗いをする。アルコール消毒をする。家にいる。気をつけて遊びに行く等々自分で線引きをして生活するしかありません。

そしてすでに社会はそうなっています。

もちろん、政府に要求するということもできます。(それには伝わる形で行動しなければなりません)

さてあなたはどうしますか?

菅首相の鬼滅の刃セリフ引用は批判されるべき

 

菅首相が答弁で鬼滅の刃のセリフ(技名)を引用したことがニュースとなっています。

 ツイッターのリプライでは面白くないという声もありますが、いや面白い、こういうこと言ったっていいじゃないかという内容の方が多いように感じました。

そもそもツイートの見出しに【ユーモア】って書いていますね。

しかしこの菅首相のセリフ引用は批判されなければなりません。

まず「ユーモア」という点ですが、引用して面白いと思わせるには、話す相手もそのことを知っていなければなりません。

例えば小学校の先生が授業中に「みんな全集中の呼吸で頑張るぞ」と使うのは世代浸透度的に大いに成り立つシチュエーションでしょう。

そのようにこの引用がユーモアとして成り立つのは、菅首相も江田氏も鬼滅を読んだことがあってセリフを分かり合えるという前提がなければいけません。

しかし江田氏も他の議員も知らなかったようでシーンとしてしまったという風に書かれた記事がありました。

相手が知らないことを言って面白いと思ってもらえるその思考自体にユーモアセンスはありません。

 

では菅首相は一体誰に向けて言ったのでしょうか?

それは報道を通じて国民側に向けて言っていたということでしょう。

世間で人気だから便乗して大衆受けを狙ったわけです。

誰かが「これ言ったら話題になりますよ」とか入れ知恵したのでしょうね。

そうやって作品に愛着もないのに人気を利用し汚していると言っても過言ではありません。

もし菅首相鬼滅の刃を読んでその作品が好きになった場合、炭治郎の生き方に感銘を受けたらこんな冷酷な政治できないでしょう。

それとも無惨側に共感してんの?

でも実際に受けているので狙い通りなわけです。

チョロいな〜。

結局のところ鬼滅の刃人気は「人気があるから人気がある」という状態で、内容を理解していない、作品の熱さが伝わっていない人も多いということなのです。

本当のファンなら作品へのリスペクトがない安易な政治利用を批判すべきではないでしょうか。

 

 

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