な…なんでこのポスターに描かれている女の子のスカートは透けているの…?
— 華月法里🌈多様性を認め☀️寄り添い🌏支え合う🌟 (@K_Norisato) 2020年2月13日
:(;゙゚'ω゚'): https://t.co/wCdYBAfgPz
赤十字の宇崎ちゃんポスターに続き新たな広告イラストのわいせつ表現批判です。
スカートが透けてるように見えるとのことです。
透けているというか密着して股間のラインがわかるようになっているように見えるな。
これはアウトー。
それはなぜなのかは以前にもあった広告イラストの解説がわかりやすいです。
「どこがエロいのか分からない」と言われたので、私が「性的な意味合いを持つ記号」だと判断した箇所をひとつずつ説明、削除したうえで「公共交通機関の公式キャラ絵としてのOKライン」をさぐりました。 pic.twitter.com/ZMWMKPX1EB
— 🐸(🛍) (@orz404) 2016年10月17日
というかこの指摘そのまんま当てはまります。
つまり同じことを繰り返しています。
いつまで続けるんでしょうね。
しかし僕はこの一連の論争を眺めているとじわじわと感慨深くなってきました。
というのもこれは歴史的に繰り返されてきた「アートかわいせつか論争」が形を変えて現在も行われているからです。
リアルタイムで目撃するなんてちょっと面白いぞ。
主に西洋絵画でしばしばあったことなのですが、アート作品に対し「これは卑猥だ」と批判が起こることがあります。今でいう炎上ですね。
西洋絵画では裸婦が多く描かれますが、その中の一部だけがそういう批判に晒されました。
ヌードの絵はたくさんあるのになぜ一部なのかというと、ヌードが問題なのではなくヌードの描き方、表現に問題があるということなのです。
例えば横たわる女性の体に「シワ」を描かない。
体を捻るとお腹周りにシワができるのが自然ですが、それを描かないことでリアルさから少しずらす。
他にもミケランジェロの有名なダビデ像がありますが、体はたくましいのに股間は子供のままです。
これもわいせつ表現にならないための手法です。
つまりアートは理論に基づいてアートとわいせつ表現を区別しているのです。
これから広告が批判されないようにするには理論を踏まえることが必要でしょう。
そして批判する側もその問題点が何なのかを明確にしなければいけません。
どちらも教養が大事だということです。
それがないとただの「私はこう思う」のぶつけ合いで話は進みません。
まあそれが現状なんですけども。
てことで今後も同じ内容で炎上が続くでしょう。
でもお互い理論に基づいた議論にはならない、つまり「何が問題かわからない」ので企画側が「面倒くさいから自粛」という形でやめていくというのが日本的な解決(?)方法なのではないでしょうか。
学校で教えると面白いのになー。
芸術の教科も社会と密接に繋がっていることがわかりやすくなるし。
ちなみに芸術の世界でも表現、理論が常にアップデートされ続けているので、アートかわいせつか論争は起き続けていますし作品もどんどん直接的になっています。
特に現代芸術がエロ扱うともうやばい。。。
追記
ダビデ像もわいせつ論争に巻き込まれてしまいました。
理論があると言っても理解していない人には意味ないですからね。
あとTPOの問題もあります。
やはりこうやってアートのわいせつ論争は続いていくんだなと再認識しました。