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多摩美の葬式パフォーマンスはアート

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東京オリンピックエンブレムの盗作疑惑で批判されていた佐野さんの葬式をするというパフォーマンスが多摩美術大学の学園祭で行われたそうです。

なんとも悪趣味で批判の的になっていますが、アートかアートではないかでいうとこれはアートです。

なぜならやった人がアートだと言っているからです。*1

便器を横にしてもアートだし、キャンバスに"This is Art"と書くだけでもアートになります。(ちなみにThis is not artと書いてもアートにはなるのですが)

 

一般的なイメージとしてアートというと美しくて、良心的で、心地よくて、意義があって、生産的で等とにかく「良いもの」だという印象はないでしょうか?

ですが人間の意識作用から生まれたもの全てを含む性質があるので、その真逆のネガティブな表現もアートになるはずです。

特に現代芸術ではこぞって既成の美意識に対する挑戦が繰り返されています。

動物の死体や人骨を使って作品を作る人もいますし、"Artist's shit"という缶詰を作品にした人もいます。(中身の説明はいらないでしょうね・・・)

その辺の石ころやゴミでも目を留めさせて考えさせることができればそれはアートだと思います。 

Chim↑Pomなんかも「世間一般の人々」は受け入れることができないでしょうね。

 

では今回葬式パフォーマンスをした人達ですが「これはアートだ」と言い切って世間には謝って欲しくないと思います。

代わりに「あんた達が散々やってきたことじゃねえか」って言うべきですね。

佐野さんに対するバッシング・取材攻勢はひどいものでした。

もちろん視聴者がそれを消費するからです。

そうやって自分たちの攻撃的な醜い面を突きつけて反省を促すコンセプトだったとするならば意義があると思います。

佐野さん御本人もこの作品に対してはもちろんですが世間の声の方にも違和感を持つのではないでしょうか。

津田大介さんが「アーティストは権威に逆らうべきではないか」みたいなことを言って不快感を示していましたが、アーティストは他人からの「こうすべき」なんて考えを受け入れるはずもありませんし「世間の声」というある意味で最大の権威に逆らっているという見方もできるかもしれません。

でもそれとは全く違う理解しがたい理由を述べるかもしれませんし、そんなこともよくあります。

「正しい人達」の「常識」を根底から覆すのもアートの役割の一つです。

まあそんな考えもなく単なる悪ふざけという可能性もありますけどね。

アートかどうかは作者のスタンスにかかっていると思います。

ただどっちにしろ弱っている人を叩くのは生き方としてダサいです。

アートは人間の付属品であって全てではないんだからね。

*1:そういう前提で行われたという認識をしています