映画「シン・ゴジラ」が10月に北米で公開だそうです。
それに伴って公開された北米版予告編を観ました。
おお〜!日本版より断然いいじゃん。
やっぱり姿は現さない方がいいですよ。
そうしたらあの姿を初めて見た時は衝撃的ですもんね。
まあ内容は同じなので映画自体が面白くなるわけではありませんが。
話は変わりまして、ラジオでライムスターの宇多丸師匠が映画「HIGH&LOW」の発声可能上映が素晴らしかったという感想を聴きました。
映画を観ながら声を出して内容に突っ込んだりしていいそうです。
映画の新しい形の観方で、これからもっと流行るのかもしれませんね。
ですが歌舞伎でも観客の掛け声がありますからもしかしたら日本人に合った楽しみ方なのかもしれません。
その発声可能上映がシン・ゴジラでもあったそうで、公開された映像を観てみました。
え・・・ なにこれ・・。
なんで声揃ってるの?
掛け声出す前に小さく「せ〜のっ」とかって合わせたのかな・・。
さむっ・・・。
なんか卒業式のみんなで揃えて言うやつみたい。
「「楽しかった!!修学旅行!!」」みたいな。
映画を観ながら勝手に喋ったりするのではなく一体感を楽しむものなんですね。
もうこの光景がシン・ゴジラの内容にもぴったりはまりすぎててつらい。
(メディア発表用にみんなで合わせただけ?)
僕は最近のゴジラ作品では2014年アメリカで製作のゴジラが好きです。(以下ゴジラ2014)
そして歴代の中では初代ゴジラが一番好きです。
初代ゴジラはすでにそうですがゴジラ2014も時代を超えて愛されることでしょう。
なぜならば両作品には普遍性が内包されているからです。
初代ゴジラでは芹沢博士の苦悩、葛藤、決断が人々に重い感動を与え、ゴジラ2014では受け継がれる親子愛が国、人種を超えて共感を生むのです。(テーマのほんの一部ですが)
しかしシン・ゴジラは社会のあり方と共に受け取り方が変わる作品だと思います。
現在の日本においては的確に時代を捉えた作品であり、その点が多くの日本人の心に働きかけたのでしょう。
そしてその感想のほとんどが共感であり、賞賛でした。
それは社会の現状を肯定するということに他なりません。(受忍かも)
その結果シン・ゴジラは普遍性に乏しい壮大な「身内ネタ」映画になっているように思えてしまいます。
近年の✌️”COOL JAPAN✌️”と同じ傾向ではないでしょうか。(突然のカヨコ)
しかし僕は今の日本社会がこのままでいいとは思えないのでシン・ゴジラをどうしても好きになれないのです。
実際の風景が破壊される場面や在来線爆弾を爽快に思うことは日頃のストレスの発露だと思うし、自分で考えて感じることができれば心象説明のセリフも字幕も音楽もあそこまで説明的である必要はなくなるはずなのです。
いつかもっと自由で明るい社会になった時にこの国の若者がこの映画を観て「何これ意味わかんない」「昔の日本はこうだったんだよ」と語り合うようになって欲しいです。
まあならないかな。