らくからちゃさんがブログで事件報道に対する疑問を呈しておられました。
今回の新幹線の事件だけに関わらず、大きな事件が起きると同じような報道がされます。
加害者、被害者問わず個人の権利にまで踏み込むような「事件とは関係ないのでは?」と思えるような内容ですね。
ではそれはなぜなのか。
言うなれば「ニュースはエンターテイメントであるから」です。
ほとんどの人がニュースを娯楽の一環として消費しているだけなのです。
社会的意義、知識的な資源といった観点で見ている人は1割にも満たないでしょう。
先日の子供が虐待死してしまったニュースを受けてそれらのない社会を作ろうと動いた人はどれほどいるでしょうか?
怒りや悲しみを表現した人はたくさんいます。
でもそんなものは今後の社会の形成には意味がないのです。
間違った人間を糾弾する正義感を有している。
悲しみを共有する感受性のある人間。
という自分であることを主張したい、自己を正当化するための材料にしているに過ぎないのです。
もっと下世話なところでは単なる野次馬根性や日頃のストレスをぶつけるため。
現状のニュースとは自我を刺激して満足するためのエンタメなのです。
だから「報道とは有意義であるべき」と思っている人にとっては違和感が残るのです。
ニュースはこれからも違う事件で同じような内容の報道がなされることでしょう。
ただしその事件を受けて動き出す人は少ないけれど必ずいます。
我々がその本当に熱意ある人の作った仕組みに乗っかるだけなので社会が良くなるスピードというのは遅いのです。