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今を生きる

宗教批判は無意味

トピック「宗教」について

最近女性芸能人が出家したということで宗教について注目が集まっていますが、そのほとんどは否定的な意見です。

 

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しかし宗教を批判することには意味がありません。

いくら論理的に批判したところでその主張に共感を寄せるのは元々自分と同じような考えの人だけであり、信者を改心させるような事は決してありません。

あんたが宗教に染まる気ないならあんたの説得も聞き入れられるわけないでしょって。

そんなことをしてもお互い反感を持ち対立を生み出す原因にもなります。

 

さらに宗教は憲法でも信仰の自由として保障されていますので、思想弾圧にすらつながります。

そう言うと「批判も憲法で保障された発言の自由だ」と言う人が出るのですが、前述の対立の無意味さを考えるとやらない方が賢明だと思います。

それに信者を傷つけることになったのならもう発言の自由の範疇を超えてしまいます。

宗教に走る人というのは大体何かに絶望していたり、自分ではどうしようもできないことを抱えた「弱った人」だと思います。

僕たちに必要なのはその弱った心をさらに叩くことではなく、彼らに手を差し伸べる優しい心を持つことなのではないでしょうか。

「自分がされて嫌なことは他人にしない」という小学生に教えるレベルの基本的な考え方を「まず自分が実践する」必要がありますし、そしてそれには「強さ」がなくてはいけません。

まあ争っているのはいつも同じレベルの人たちです。

 

それにこの日本型の宗教批判で僕が一番嫌なことは「みんな自分が無宗教だと思っている」という点です。

僕はほとんどの日本人にも信仰心があると考えます。

その無自覚な信仰を「神秘主義的信仰」と勝手に呼んでいます。

自分は無宗教だという人にはその通りの行動をして欲しいものです。

簡単なところでは葬式でお坊さんを呼ばない。

結婚式は教会でやらない。神に誓わない。

クリスマスやその他全ての宗教行事をやらない。

迷信を持たない。例えば幽霊・魂の存在を信じる、血液型占い、雨男・雨女、自分が試合観たら負ける、運が付いている・運が悪い、バチが当たる等々。

それら根拠のないものに心動かされることを完全に断ち切って初めて宗教批判をやってみてはどうでしょう。

自分の愚かさに無自覚な人ほど他人を簡単に批判してしまうのです。

 

 

 

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