クリスマスが終わったのでクリスマスについて書こうと思います。
真っ只中に批判と思わせてしまったり興ざめさせたくはありませんからね。
クリスマスはこの国では初めから形がい化された状態で取り入れられました。
「クリスマスって天皇の誕生日?」って言う若い人がいてずっこけたことがあります。
それでも僕はクリスマスをイベントとして行うことを特に批判しません。
ただ一つ気になることがあります。
それは「サンタクロースの存在を子供に信じさせる」ということです。
サンタさんがクリスマスの朝に枕元にプレゼントを置いてくれるという演出。
多くの人が経験したことがあると思います。
でもあれって嘘ですよね。
嘘ってついていいの?
夢があるとか、罪のない、綺麗な思いやりだとかそうゆう言葉で嘘を飾り立てることに違和感を持ってしまいます。
嘘は嘘でしょう。
大人のついた嘘を子供が信じている様子を見て、その純粋さを楽しむのが目的なんだと思います。
でもそのうちに子供もサンタクロースが実在しないことを知りますが、初めのうちは気づいていない振りをした人もいるでしょう。
プレゼントが欲しいがためにであったり、大人を落胆させたくないなどの理由で。
しかしそこで嘘をつくことが受け継がれてしまうのです。
本来よくないことを正当化することは社会の、人間の問題につながっていると思います。
キリスト教はそんなことをしろと言ってはいませんが、教義とは関係のない人々がやることなのでどこかで道がずれてしまうのです。
むしろキリスト教のことバカにする人もいますよね。
そんなんでよくその宗教行事ができるなと思ってしまいます。
さらにその「夢という名の嘘」は消費を促す側面をもまた美しい姿に見せます。
経済が一時的に活発になるのは良いことだと思うかもしれません。
しかし現状のクリスマスイベントは社会的なコストがとても大きいと思います。
例えばクリスマスに付き物のケーキがありますが高価、安価を問わずいたるところで売り出されます。
側から見ていても絶対に売り切ることはできないだろうと予測できます。
そして案の定売れ残ったケーキが出ますが、それは自腹購入を強要される場合があるそうです。
もし買取がなかったとしても廃棄食料の増加にはつながっているでしょう。
今年はドミノ・ピザに大量の注文が相次ぎ、提供することができず、人々を怒らせてしまう事態も起きました。
クリスマスなのに全然幸せじゃないじゃん。
ノルマだ契約だ相手が悪いって言い切らずに、聖なる夜だから全然いいよって見栄でもなんでもいいから平気に振舞って周囲の人にメリークリスマスって言いましょうよ。
クリスマスが何でもない日ではないと言うならば。
そうしたら幸せで落ち着いた気分でみんなが過ごせるはずです。
聖性とは心に宿るものなのです。
真の聖なる夜は予約したピザがないことで崩れてしまうようなものではありません。
僕は本当にクリスマスイベントを行うことを批判したいわけではありません。
ただ今までとは違った形で環境にも負担が少なく、人間にも優しい、慎ましくて美しい本来の姿に近づけたクリスマスを目指した方がいいのではないか、と思わずにいられません。
そうすれば自分の心の中に静謐で神聖な一面を見出す事ができるようになると思います。
どうか来年は仕事の人も休みの人も、家族とでも友人とでも、恋人と一緒でも一人でも。
世界中の人が幸せな時間を過ごせますように。
それが僕の夢です。