神戸のクリスマスツリー企画を知った時すぐに違和感を持ちました。
でも阪神大震災からの復興の象徴にするとのことだったので何も言えなくなってしまいました。
それ出されたらねえ。。
でも案の定批判の声も上がってきました。
震災の事を考えると何も言うまいと思っていたのですが、今度はその批判自体がズレてるなと思ってしまったんですよね。
伐採に対する批判はこの社会が木材を使っている以上自分にも返ってきます。
肉食批判にも通じる矛盾があると思います。
真の問題はそこではなく「世界一のクリスマスツリー」という部分です。
この神戸のクリスマスツリーが何をもってして世界一としているのかと言うと「高さ」で世界一を目指しているのです。
その意図を知った時に違和感を持ちました。
はっきり言ってダサい。
高ければ世界一なのかよと。
では他にどうやって世界一を目指せば良いのでしょうか。
それは・・・・・・。
えーっと。
あー。
思いつきませんでした。
というのもそれは日本の文化ではないからです。
キリスト教の信仰心に基づいておらずクリスマスの歴史も浅いこの国の人間がどうやって世界一になるのか考えた結果「高さ」という表面的なものになってしまったのです。
このクリスマスツリーを批判する視点は「文化的かどうか」ということがポイントになるべきではないでしょうか。
海外では「文化の盗用」と批判される部分です。
以前日本の文化を盗用したと批判されたモデルが謝罪した出来事がありました。
しかしその批判は当事者である日本人ではなく現地の人達によるものでした。
なぜなら日本人には何が問題なのかさっぱりわからない部分なのです。
それで自分たちは寛容だと思っているようですが単に「文化」というものを理解していないだけです。
確かにそれはよそのことですから気にしなくてもいいでしょう。*1
そしてその思考を自国の文化に対してだけ適用するならば問題はありません。
日本はそういうスタイルなんだというだけです。
しかし海外の文化に手を出してしまったらそうはいきません。
海外の文化に踏み込んだならば海外の基準で評価されてしまうので、体系的な思想を持たないこの国は稚拙な印象を持たれてしまうのです。
「世界一のクリスマスツリー」にはその危険性がありました。
しかも世界一と言っておきながら最後は斬り刻むつもりだったわけです。*2
宗教的な象徴なので冒涜に捉えられる可能性もあるかもしれません。
どうだ高いぞ!ウチが世界一だ!などと中身のない偽物で本物を持っている人たちに勝ち誇っても虚しいだけだし恥ずかしい。
というのがこのツリーに対する僕の感想です。
追記
このツリーは「ツリーに飾られた願い事」の数で世界一を目指すそうです。
それは七夕だ!(笑)
初めは高さって言ってたやん。
なんの信念もねーな。
そら落ちるわ。
そしてイベントの後は神社の鳥居になるそうです。
なんて無節操な・・・。
ここまでくるともう面白くなってきたわ〜(笑)