ユネスコに南京事件が登録された事に対する日本の対応が稚拙過ぎます。
「金出してるんだからこっちのいいようにしてくれよ」って態度ですよね。
それに対して中国に
「じゃあ、日本の分までこっちで出すね^ ^」
と言われれば後はどうなるか察しがつきそうなもんですが。
いい加減、議論や証拠に基づいて物事を検証できる様になって欲しいです。
数年前に知って感銘を受けた話です。
「やったことの報いは必ず受けるもの」「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知らないのだから)撃たれて当たり前 」
という感想文を書いた小学生の女の子がいたそうです。
僕は今までのごんぎつねのストーリーに対する受け取り方が変わってしまいました。
これまで単にかわいそうな話としてしか捉えていませんでしたが、この女の子の言うことが正しいと気付かされました。
そしてそれが以前から持っていた別の事に対する考えと一致しました。
日本は戦後「政府」が周辺国に謝罪と賠償を含む条約を締結しました。(中国は賠償放棄)
ですがそれは両国民に広く知らしめられる事はなく政府間同士でのやり取りになってしまいました。
本当はその際に二国間のみならず世界に向けて謝罪し、受け入れられた事をアピールすべきだったのですがそうはしませんでした。
当事者に直接伝わらなければ謝罪とは呼べません。
そう日本はまだきちんと謝った事になっていないのです。
だから相手側の国民は未だに日本が何もしていないという印象しかもっていません。
それなのにもう済んだ事だと言うのは、あちらからすると誠意のない態度に捉えられてしまいます。
「ODAでも貢献しただろ」という意見もありますが謝罪や賠償の意図を込めたとはっきり宣言して行ったわけではありません。
謝ってもらった実感もなく「昔謝ったし金もやった。こっちのおかげで発展しただろ」という言い方をされれば反感を持たれるのは必然です。
「自国への不満を逸らす為に反日を利用している」という考えもあるでしょう。
僕も実際それはあると思います。
ただつけ込まれる隙を与えているのは我々自身に他ならない事を自覚せねばなりません。
日本は国民一人一人が戦争を振り返り、先祖達が起こした事として反省するべきです。
テレビ等で戦争特集を観ると必ず「政府に騙された。兵隊に行くのは嫌だった」という声がありました。
そういった証言を聞く度に僕は「じゃあ皆で反対したらいいんじゃないの?こんなに反対する人がいたなら多数派になるのでは?」と思っていました。
それで僕は自分がその当時に生まれていたらどうなっていただろうかと想像した事があります。
「でも自分も当時の世論の盛り上がりや弾圧によって戦争参加を選んだんじゃないか?敵国に家族を殺される姿は見たくないし、兵役を拒否して拷問されるより戦争へ行った方がいいのではないか」という考えが湧きました。
当時の重苦しい空気を想像して選択肢は他に浮かびませんでした。
しかし同時に「選んだのは自分なんだ」という意識も感じられました。
その意識を持てないため他人事のように捉えている人が多数です。
だから中国、韓国とうまくいっていないのです。
誠意って相手に尋ねることではないですよね。
日本は謝罪をきちんとするべきです。
賠償も今度は別の方法で当事者に確実に渡るようにもう一度行ってもいいでしょう。
そうしてアジア諸国の赦しを得たならば、日本はその国々に推挙されてアジアのリーダーとして世界へさらなる存在感を示す事になると思います。
そうなれば日本は新たな発展を遂げる事ができるでしょう。
(反日勢力へ対抗する強力な武器にもなるけどこれは恐ろしい考えなので言わないでおこう)