今西武そごうの意見広告がちょっとした議論の的のようです。
女性差別是正の内容で一見いいことを言っているはずなのに写真に違和感を覚える人がいるという点で。
まずその違和感はなぜ起こるのか。
僕はクリエイターと一般消費者の意識の違いが最初にあると思います。
全てのクリエイターは長期的な専門教育を受け、常日頃から表現のことを考えているものです。
その中で多くの作品を目にし理論を学び、また独自の理論を打ち立てています。(または打ち立てようと努力しています)
そして出来上がった作品は何らかの理論に裏打ちされた表現となっているはずです。
ですがそれを見るのは一般消費者であり、また評価するのも一般消費者です。
さらにその一般消費者が広告を「観る」のはごく稀にしかありません。
なんの訓練も受けていない人にとってはこの広告の必然性を理解することは困難なのでしょう。
写真と文章の構成から反映されるイメージが繋げられない、つまりストーリーとして認識できないのがその違和感の正体ではないでしょうか。
簡単に言うと「わかりにくい」ってことです。
まあわかりやすい写真を載せていたとしたら何の話題にもならず終わっていたことでしょう。
正しく伝えることとインパクトを残すという、時に相性の悪い二つのことを成し遂げなくてはいけないクリエイター(特に商業デザイナー)が頭を痛める問題ですね。
ところでこの議論はいつもながら世間は本質からそれたことで騒ぐのが好きだなと思わされました。
今回の広告における本当の問題とは一体何なのでしょうか?
それはこの社会に根付いた女性差別ですよね。
「女性差別をどうにかしよう!」ではなく「写真と文章のイメージが合っていない!」ということが議論になるのがとてもこの社会らしいなと思ってしまいます。
最近ではモデルのローラが辺野古埋め立て反対の意見を唱えたことに関しての議論がそれにあたるでしょう。
埋め立て反対を「ローラが言った」ことに対する議論が巻き起こっています。
でも本当の問題は辺野古の埋め立てであり、 沖縄に集中する基地なのです。
本質はなおざりにされ、有名人が言ったのがああだこうだと騒ぎ立ててる人たちを目にする度にこの国全体に横たわる合理性の低さを痛感させられてしまいます。
そんな事例は数多くあるのですが、そろそろ本当の問題を見極めてどう解決するかを議論できるようになった方がいいんじゃないでしょうか。
ま、みんなすぐ忘れて次の話題に移るんでしょうけどね。
もちろん問題は放置されたまま。