「日本死ね」
今年日本を動かした言葉、というのは確かにこの言葉だったと思います。
ただその強い表現自体に囚われてしまい本質は置き去りにされてしまっています。
待機児童問題や女性の社会参加が困難な部分をどうにかしないといけないんでしょって。
俵万智さんはそのことを指摘していると思うのですが、彼女が発言を擁護したと捉えて批判している人もいるそうです。
その人の国語力大丈夫かいな。
問題に対して異議を唱えることは大事ですし、インターネットの普及で一般人の発言も世の中に広く伝わりやすくなりました。
発言者も日本の社会構造からくる重圧に耐えかねて出た言葉でありますが、呪詛を含んだ言葉のせいで人々の意識が荒れてしまうという側面もあったと思います。
問題に対して不満を溜めるだけでは「日本死ね」となっていますが、その問題に対して解決策もセットにして発言してみてはどうでしょうか?
そうすれば不満に対しての怒りである「日本死ね」が希望を見出す「日本生きよう」となるのです。
この方の奥様は提案型ですし、実行にまで移して人々に貢献し収益まで得ています。
育児で悩む女性はとても多いと思います。
これからは楽できる部分は楽して育児する時代にならなければ少子化対策や日本の幸福度の向上は見込めないでしょう。
その点このアプリは自分(開発者)にも社会にもいい結果をもたらしています。
どうでしょう、提案型はいいことづくめだと思いませんか?
(後は男性がもっと育児に取り組めばいいですね)
ただ、正論は人々の注目を集めにくいというのが実情なので、実際に変えるにはどうするかが問題ですね。
悪意の方がたやすく人々に伝わりやすいのです。
僕はこのブログで社会に対してあーだこーだ書いていますがその後は提案型にしているつもりです。
でも世直ししようなんてことは思っていなくて単に思考訓練だと捉えています。
自分の思考と向き合い論理性を磨いて問題解決能力を高めるための場にしたいのです。
的外れなことばかり言っているかもしれませんが。
どんな形にせよ「考えて解答を出す」ということが生きていくことを便利にしていくと思うからです。
「日本死ね」と言った人もその姿勢で考えればきっと今よりは楽に生きていくことができるはずです。
「日本が自分に対しこうすべき」ではなく「この環境の中で自分が何ができるのか。自分や配偶者の生活の範囲でどう変えられるか」を考えることの方が現実的で即効性があります。
注目はされなかったかもしれませんが、自分の生活を充実させることができたでしょう。
僕はそう思います。
これからもっと、幸せに、生きよう日本!