ついに日本政府が緊急事態宣言を出す方向で最終調整している模様との報道がありました。
ちょっと何言ってるかわかりません。
今回のコロナ騒動での政府の対応は全て後手で内容も効果が薄いと思われるものばかりでした。
なぜこんなにも酷いのか考えてみると、日本の政治家が「調整型」で出世した人ばかりだからではないでしょうか。
「調整型」とは僕が勝手に言い出した言葉なんですけども、政策において幾つかの意見が出た際にどの意見にも配慮して解決しようとする手法です。
例えば今回のコロナ対応で「国民に対する優遇策」と「業界団体への優遇策」の2つのニーズに対する調整が「和牛券」「お魚券」という案でした。
どちらも批判されて撤回しましたが結局は"Go to eat" "Go to travel"と結局名前を変えただけで実行されそうな雰囲気です。
どっちにもいいだろうと考えた結果どっちつかずの残念な結果になったということです。
まさに二兎を追うものですね。
今回台湾の閣僚の凄さが脚光を浴びています。
「閣僚に素人がいない」ということで日本人としては恥ずかしい気持ちになる言葉です。
実際日本は素人目に見ても閣僚が素人だとわかる人ばかりです。
彼らはやはり調整力であそこまで上り詰めたのでしょう。
調整力ってなんとなくいい言葉っぽいですけど、要は権利関係者の間取り持ってたというだけです。
よきに計らってきたということですね。
そういうタイプの人は時に善悪すらも調整してしまうことがあります。
どっかの学校に便宜を図ったり、証拠消して事実を調整とかね。
今回のコロナの問題に戻りますが、こういった有事の際に大事な政治手法は「決定型」ではないでしょうか。
この道で行くんだと決定してみんなを引っ張る。
海外はそのタイプだと感じます。
それを実行するには一番重要なことに向き合い優先順位を決める必要があります。
緊急事態宣言が今まで出なかったのは、人命と経済をどちらも同時に取ろうとして調整を続けた結果です。
結局全てが中途半端になりずるずると感染者も増え経済も打撃を受け続けています。
専門家がいないから決定ができず、いろんな方面の意見に引きずられてしまっているというのが、今回露呈した調整型政治のまずさだったと思います。
ウイルスや災害は忖度してくれないからね。
まず人命のためにロックダウンし、その後経済が復興するための施策を用意する。
それが最後にはどちらにも良い結果をもたらすのではないでしょうか。