国は生きる為のシステムなのに「国の為に死ぬ」って発想はおかしい。
それと同じように「平和の為に戦う」もまたおかしい。
アメリカや同盟国が人権や平和の為だと言ってずっと戦争してるけど、結果平和になってるの?なってないよね。
平和って争いがない事なんだよね?
反対する人は全員殺して歯向かう人がいなくなった状態が平和なの?
皆がいま叫んでいる平和はそれなんだよ。
平和を目指すにはどうやったら争わないで済むのかを考えなくてはならない。
武器を捨てないといけない。
みんながみんな聖戦思想の今までのやり方が間違ってるんだよ。
いい加減その矛盾に気付かないとまずいよね。
日本は間違っている国々に忠告すべきだったのに、現在わざわざ直接的に加わろうとしている。
平和について忠告できる唯一の大国だったのに。
アメリカの後を追うならば同じように泥沼にはまるだけ。
争いで勝ち続けた国は無い。
これは歴史が証明している。
では危険な道を進む「安倍政権の暴走」を止めるにはどうしたらいいのか?
昨日、中野の駅前で「アベ政治を許さない」というスローガンのデモを見た。
「皆様の怒りを〜」って大勢の人が呼びかけてた。
大人しい日本人もいよいよ立ち上がって行動を始めるようになった。
だが実はデモは長期的には有効な解決策では無いと思う。
海外ではデモをしている映像をよく見る事がある。
そしてその結果政府の方針を変えさせている事もあるようだ。
でもまた別の問題が起こりその度に抗議活動を行う。
結局同じ事の繰り返しになってはいないか?
だからこれからは別の方法で働きかけないといけない。
例えばデモじゃなく選挙に行こうって呼びかけたらいい。
投票率が飛躍的に上がるような工夫をしたらいい。
世論=当落結果にストレートに繋がるようにしたら政治家はもっと世論に同調しようとするだろう。
現在は世論=メディアのアンケート結果でしかなく、選挙の結果に必ずしも反映されているとは言えない。
だから無視してやって来れた。
結局は国民の怠慢もあったのだ。
それと反対のデモを見てると警官と小競り合いをしてるシーンもかなりある。
警官は高圧的だ!デモ隊がんばれ!って思う人もいるかもしれない。
だがしかし、ここで気付くべきは警官はそもそも仕事でやってるだけで一般市民と変わりはなくその場での争いは無意味という事だ。
それどころか強硬で過激な言動は相手の態度を硬化させ正当性を確信させてしまうだけ。
「警官として危ない連中を抑えなくては」と思わせるし、遠巻きに見ている人達には「デモ隊って怖い。あんな連中の言ってる事は間違ってるでしょ」と思われる。
逆効果でしかない。
だからぶつかるんじゃなくて、同じ人間として語りかけないといけない。
政府の問題を具体的に示して「あなたはどう思う?」そう問いかければいい。
その場では答えてはくれないかもしれない。
でもそれでいい。
その時「私は自分や家族を危ない目に会わせたくない。あなたやあなたの家族もそんな目に会って欲しくない」とそう言えばいい。
同じ市民、同じ人間として語りかけるのだ。
そうして警官が家に帰った時、一人の人間に戻った時、その言葉について考える事があるかもしれない。
蒔いた種がゆっくりと育っていくように。
もしデモ隊が「平和の為に戦う」と言ったらそれは戦争と変わりはしない。
憎しみや怒りをぶつける事で平和が生まれるはずがない。
ジョン・レノンのイマジンみたいな思想を持って行動しないといけないんだよ。
それは綺麗事だって?
平和は美しいものなんだから当然でしょ。
だから僕は「別の道を探そう」と言う。
それはきっと創造的で楽しい道だ。
破壊的で苦しい道の逆なんだから。