去年の今ごろの事です。
アスファルトの上を今夜羽化しようと這い出したのであろうセミの幼虫が歩いていました。
ここでは踏み潰されてしまいそうだからと近くの小さな植木があるマンション敷地内の茂みに放しました。
そしてしばらく観察してみたけど、意外と木登りは不得意と見えて落ちては登るを繰り返しています。
考えてみればずっと地中にいたわけだから無理もないのでしょう。
ふと周りを少し見渡すと、同じように木登りをしているセミの幼虫が何匹もいました。
こんな近くの林とも言えない裏庭程度の場所なのに、たくさんいるのだなあとしみじみ思いました。
しかしそれも束の間、やはり木から落ちる者もいたし、猫に食べられたり、蟻にたかられて逆さまになり空を掻くだけで歩けなくなっている者も。
頭上では多くの蝉の鳴き声が聞こえています。
でもその足下では静かに冷たい幾多の取捨選択がなされていたのです。
人間はこんなに苦労しなくても生きていけるはずです。
その最低限だけど本当はとても大きな価値に気付きさえすればもっと安寧に過ごせるのかもしれないなあと夏の夕暮れに思いました。
この文章を書いている途中でちょうど目にした短歌。
もしも樹になれたら蝉が抜け殻を上手に抜け出るように見守る
という作品がありました。とても優しい視点で書かれています。
今私たちが目にしている生き物はすべて過酷な生存競争の中で、なんとか生き残ったもの達ばかりです。
そしてたった今も、その競争のまっただ中にいるもの達です。
だから全ての生き物に対してもっといたわってあげる気持ちをもって接したいと思ったのです。
私たちはもうちょっと周りに注意を払い想像力を働かせなくてはなりません。
それから自分を見つめ直しましょう。
自分が恵まれていることや、支えられていた事がよくわかるはずです。
全ての生き物を、今日出会う人達を、そして自分を大事にしよう。