お盆も後半ですね。
ところで今年のお盆にはあるおそろしい変化が訪れつつありました。
お盆玉が広まろうとしています。
いえ、広められようとしているのです。
日本では日々見えない所で陰謀が渦巻いています。
各種陰謀一覧(ソースは2ch)
そして姿を見せ始めた「お盆玉」・・・
これは完全に「ぽち袋業界の陰謀←NEW」です。
ぽち袋業界て(笑)
でも冗談の様ですが実際に上記の業界発信の行事もありますし、元々あった記念日に何かと理由をつけて企業が鼻息荒く商品を売り込んでいるのもまた事実。
どれも結局は商業的キャンペーンでしかないと思います。
それを今回新しくお盆玉に目を付けたというだけのことです。
元々一部地域では昔から風習としてあったようですね。
ですがなぜ地方行事を全国的に行わなければならないのでしょうか?
その行事を取り入れる事によって有益な結果が得られるのであれば導入してもよいでしょう。
しかしその実例は何ら説明されていません。
例えば恵方巻きを食べたらこんないい事が起きたとか。まあないよね。
上のリンクにお盆玉に込める願いは書かれていました。
「郵便局は、手紙や贈りものもそうですが、人と人をつなぐのが役割です。お盆玉袋も、人と人をつなぐきっかけになれば」
はい、綺麗事お疲れ様です。
人と人をつなぐのがお金でいいんですか?あなた達の間では、金の切れ目が縁の切れ目ですね!
「お金じゃない、気持ちなんだ」
はい、綺麗事お疲れ様です。(自分で考えたけど)
気持ちをお金に換えられるんですか?結局あげているのはお金ですよね?
ただ確かに孫や親戚の小さい子とかが喜ぶ姿を見たい気持ちはよくわかります!
好みはそれぞれだし何をしたら喜ぶかわからないからひとまずお金をあげておこう、というのがこの文化の本音の部分なのではないでしょうか。
普段離れて暮らしている訳ですからどんな趣向を持っているのかわからないのは当然の事と思われます。
でも、だからこそ会った時にはよく会話をしてコミュニケーションを取るべきなんです。
どうしていいかわからないのではなく、どうすべきか考える事が面倒なだけなのです。
それでお金をあげて何かをしてあげた気持ちに浸りたいだけなのです。
僕は同じ理由からお盆玉だけでなくお年玉にも反対です。
安易にお金を与えたりすると拝金主義を育ててしまうかもしれません。
お金もらえるからこの人の言う事はちゃんと聞こう。
この人はくれないからいいやみたいに。
何もしていないのにお金をもらうこの風習が日本をダメにしていると思います。
お盆玉も新しい風習の様ですが、対話・表現の不得意な日本人が関係性の希薄さを金銭によって繋ごうとする古い体質の現れではないでしょうか。
これからはやはり対話です。
みんなで話をしましょうよ。
一族のオリジナル恒例行事を考えてもいいですよね。
一緒に行動する事でも人となりはわかります。
小さい子ならば一緒に遊ぶだけでもかなり喜びますよ。
こっちは疲れますけど(笑)
遊んであげられないくらい高齢でしたら、むしろ子供達がいたわるべきですよね。
子供達にルーツを示し、この人達がいたおかげで親や親戚がいる。
そして自分たちがいるんだという気持ちを持つ様に導いてあげないといけないのではないでしょうか。
文化だから、伝統だからでは思考停止でしかありません。
今まで伝統だからというだけでやってきた事も、自分たちに本当に必要かどうかを考え直してみてはいかがでしょうか。
先祖達もこれまで伝統をいくつも捨てて残った物と新しく得た物を僕たちに手渡してくれました。
僕たちも同じ様に伝統であってもきちんと見つめ直し、よく考え、守るべきは守り、要らなくなった物は手放す。
そしてよりよい未来を自分たちの手で造り上げましょう。