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今を生きる

子供の声は騒音じゃない!と僕は言い切れませんでした

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日本死ね」で注目された待機児童問題ですが、過激な表現で世間の目を引くこととなった一方、その過激すぎる言葉遣いゆえにそちらの方に注目が集まってしまい本質的な議論が進んでいないように思えます。

政治家まで言葉遣いを取り上げてあーだこーだ。

そこじゃないでしょ。

いや、政治家はあえて問題のすり替えを行っているのでは?と疑ってしまいたくなるほどです。

だとしたら成功してますね。

 

今回は相変わらず放置されたままの本来の問題について。

日本では保育所が足りておらず待機児童の発生や親の就労問題にも影響が出ています。

ですがその問題を解決しようと保育園を新しく建てる予算を得たとしても困難が発生します。

それだけでなく既存の保育園にも風当たりが強くなっています。

地域住民による反対があるからです。

 

ironna.jp

保育園の子供の声がうるさいと言う人がいるのですね

しかも抗議するのは高齢者の割合が高いそうです。

「子供の声は騒音なんかじゃない!」

「高齢者は若い人たちの足を引っ張っている!」

なんて言う人たちもいます。

当事者(親)からしたらそう思ってしまうでしょう。

 

でも僕も子どもの声が「うるさい・・・」と思ってしまったことがあるんです!!><

 

もう10年以上も前の話ですが、部屋探しをしていた時にちょっと変わった物件に案内されたんです。

9割くらい地下になってる部屋だったんですけど、その上の階(1F)が保育園だったんです。

 子供達がいる昼間に下見したんですが、

 

とにかくめちゃくちゃうるさい!!

 

ずっとわーわー言ってるしドタバタ音も振動も響くし、しかも部屋が地下なので暗い。

不動産屋さんもセールストーク一切なし・・・。

ここに住んだら頭おかしくなるわ・・・。と思ってその部屋はやめました。

(最初にわざとよくない物件を見せるというテクニックかも)

僕は子供は好きですし、元気なのはいいと思います。

これからの国の希望でもありますし、そんなの背負っていなくてもただ幸せに育って欲しいと思います。

でもあの環境で毎日生活すると思うとちょっときつい・・・。

保育園に抗議するのが高齢者なのは、いつも家の中にいてその音を聞かねばならないからです。

毎日毎日。

しかも高齢ともなれば体調が悪くなってゆっくり休みたい時もあるでしょう。

高齢者でなくても平日昼間に睡眠をとらないといけない人だっています。

親は子供を預けたら職場に行ってしまってその後のことはわかりません。

同じ環境にいない人が彼らを批判することなどできるのでしょうか。

自分の子供でない集団が毎日騒いでいて、それを聞かないといけない環境では考えが変わるかもしれません。

僕は「子供の声は騒音じゃない」と言ってしまうのは相手の立場を考慮していない面があるのだと思います。

騒音になってしまう状況がこの社会や街の構造の中に存在していることを認識しなくてはいけません。 

 

では解決するにはどうしたらいいでしょう?

やはり保育園は新設せず親には我慢してもらう?

既存の保育園の子供たちには音を立てないように我慢してもらう?

それは不健康すぎます!

う〜ん・・・じゃあ周辺住民に我慢してもらうしかないじゃん・・・。 

 

いいえ、僕はその「誰かが我慢をしなければいけない」という今までの発想が間違っているのだと思います。

誰も我慢しないで済むような解決策を考える方がクリエイティブな行為だし、これからの日本に必要だと思います。

 

その方向で行こうと決めさえすればアイディアはいくらでも出ます。

既存の施設には可能な限り効果的な防音対策を施す。

授業の構成にも工夫の余地はありそうです。

高齢者が家にずっと閉じこもらないで済むような社会の仕組みを作る。

高齢者に働いてもらう場所を作ったり、保育園に招いてもいいですし。 

 

新設する場合は街作りから考えてもいいでしょう。

都会では未だに都市開発をバンバン行っていますから、その中心的な枠組みの中に保育園を組み込む。

安全で楽しい保育園作りを真っ先に街作りのコンセプトにする。

 

そんなのはコストがかかって非現実的でしょうか?

でも本来そうゆう採算や利益を超えたところで政治は力を発揮するはずです。

いいえ社会的なコストを考えれば大風呂敷でも長期的にはプラスに持って行くようなビジョンが政治家には必要です。

魅力のある街にはみんなが住みたいわけですし。

少子化が解決できるなら元は十分に取れるはずです。

今まで目先の利益だけで長期的には結局無駄になる公共事業が多過ぎたと思いませんか?

自分が幸せになるためには、誰かに我慢を押し付けない、誰もが幸せになる社会をそれぞれで、そしてみんなで考える必要があります。

それにはまずお互いの立場を思いやることから始まります。

 

 

 

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