森さんが女性蔑視発言でバッシングされた当初から「この批判はやりすぎ」という声が少なからず上がっていました。
中には激しい口調で批判する人もいるので、その攻撃的な面に疑問を感じてしまうことがあるのでしょう。
しかしそれは差別に対する意識が甘いと言えます。
現時点では差別が差別として認識されていない人も多いのです。
それは組織委員の会見でも見ることができます。
組織委の会見。冒頭で女性職員が武藤氏の椅子を引くためだけに出てきた様子に強い違和感を覚えました。私は米大統領会見など海外で多くの会見に出ましたがこんな光景はなく、椅子は自分で座ればいいはず。性差別発言が引き金の会見で、性別役割分業が自然に出る部分に組織委の構造問題があると思います pic.twitter.com/FFiKZTxWye
— Toshi Ogata (尾形 聡彦) (@ToshihikoOgata) 2021年2月12日
問題になっている組織の会見でわざわざ女性が椅子引くなんてね。
彼らにとってはあまりに身に染み付きすぎて何が問題だったのか理解できていないのです。
こうやって問題点を一つずつ明らかにする「認識を持てるようになるため」にこの批判は必要なのです。
ハラスメント、差別の是正はまず象徴的な出来事があり、それによって可視化された概念が広がり一般化されるという道筋を辿ります。
例えば過去に「セクハラ」が悪いことだと認識されるようになったのは流行語大賞が大きな役割を果たしたのではないでしょうか。
昔は「普通」だったことがこの時期を境にセクハラと指摘されるようになったと上司や年配の方から聞いたことがあります。(その当時僕は子供だったので実態はわかりません)
セクハラの認識が一般化し言いやすくなったのがこの象徴的な出来事なのです。
社会を構成する一人一人の力は弱いのでまずは身の回りから、自分からしっかりやれと言ってもそれはかなり困難なことなのです。
だからハラスメント、差別をなくすためには権力構造の上層から始めなくてはいけません。
そうやって歴史的にも差別是正は象徴的な出来事を発端としたトリクルダウンで救済が広がることが多いのだと思います。
というわけで今回の森さんへの辞任要求は日本社会のために必要なことであると言えます。