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今を生きる

ツイッターで見かけた「悲惨な話」は一体誰が悪いのか

今日ツイッターで見かけた話が壮絶な内容でした。

元は新聞記事なのですが、ある女性が不幸にも亡くなってしまった胎児をお腹の中に残したまま仕事をしなくてはいけない状況があったとのことでした。

あまりにひどい仕打ちで休みを与えなかった上司には批判の声が上がっています。

(とはいえ本人には伝わらないのでしょうが)

 

ところで責任はこの会社の上司だけなのでしょうか。

まず第一で重大な責任は当然この上司にあります。

しかしなぜこの女性は自主的に休むことができなかったのでしょうか?

いくら人不足だから、休むなと言われたからとしても「こんなひどいことをする会社にはもういる必要がない」と見切りをつけて無断でもいいから休むべきというかそのまま辞めてもよかったのではないでしょうか。

子供を守るのは親としての役割でもあると僕は思います。

だから子供より仕事を選ぶという感覚が僕にはわからないのです。

 

そしてもう一人、このことを投書した同僚がいるわけですが、この方は見ていることしかできなかったわけですよね。

これは消極的ではありますが容認したのと同じなのではないでしょうか。

 

どちらももっと上の立場の人に言うべきだったし、上も同じだと言うのならば外部の監視力のある組織への働きかけを行うべきでした。

 

もちろん女性は間違いなく被害者ですし責めたいわけではありません。

もっと深いところでの原因があることを理解すべきだということです。

それは彼女達にこういった行動をとらせてしまっている構造的な欠陥がこの日本社会にはあるということです。

抑圧的で均質化を強制する学校教育に始まり、本音が敬遠される社会で育っていくうちに間違ったことにも従ってしまう人間を作り上げてしまっているというのが上記の記事の本質なのではないでしょうか。

この女性も同僚も優しくて責任感のある人達なのでしょう。

しかしその責任感が人の命をも上回ってしまったのがこの件の一番悲惨な面なのではないでしょうか。 

いや、責任感と言うよりも連体感かもしれません。

この国ではそれが強制されることが多くあります。

 

日本社会は「命が大事」だという当たり前のことを教えることから始めなければいけないレベルなのです。

 

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