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今を生きる

日本人は集団主義ではない?

「日本人は集団主義」という捉え方は日本人も自らが認める日本人論であると言えます。

しかし東京大学の発表でそれが間違っているという指摘がなされました。

 

『日本人は集団主義的』という通説は誤り | 東京大学

 

これまで日本人がとってきた行動と集団主義を結びつけていたが、それらの行動は海外でも行われていることであり、日本人が集団主義であるという証拠にはならないというものでした。(すごく大まかにまとめると)

しかし僕はそれは半分しか合っていないのではないかと思います。

「日本人は集団主義ではない」ではなく、『日本人は集団「主義」ではない』がより正確なのではないでしょうか。

つまり日本人には「主義」がないのです。

というのも「主義」とは西洋的な体系や理論を根拠にした思想概念とそれに準じた行動です。

だから曖昧な思考をする日本人にとっては完全に馴染めるものではありません。

別の言い方をすれば「自覚」がない。

主義とは自覚することで浮かび上がる形なのです。

日本はそのような「主義」ではなく「空気」を共有しているに過ぎないのです。

「暗黙の了解」「作法」「伝統」「道」最近では「忖度」など日本人はこれらの行動様式に沿って生きているのです。

それら全てを含んだ「空気」というのは日本人にとっては重いものであり破ることは容易ではありません。

そのため一見「主義」のように見えますし、また一方で「主義」とはズレが生じるため東京大学の発表のような反論が出るのでしょう。

 

関連する通説に「日本人は論理的ではない」もあります。

それもまた西洋の概念と日本人の概念が全く同じという前提の元で判定しているためのズレのある結果です。

日本には「思想」「哲学」においての歴史的な体系を示すことができません。

それに対し西洋は「思想」「哲学」を紀元前から形あるものとし、論理力を磨いてきたのです。

そのため同じ論理を日本人が持てないのは当然とも言えます。

なぜ「思想」「哲学」が日本では発生しなかったのかといえば、それらが発生した西洋文化の根底には神学があるからです。(日本での宗教は物語)

特に一神教を編纂していくうちに培われた論理が様々な分野を発展させていきました。

「芸術」「科学」も宗教で磨かれた論理が発展させたものです。

西洋では芸術も論理的な思考が必要とされそのような教育が施されています。

では日本にはそれら全てがないのかといえばそんなはずはなく、世界と比べたとしても劣る国では決してありません。

日本には日本の違ったアプローチがあるということです。

そこを日本人が理解し、西洋との(しばしば劣等的な)比較をやめれば日本人はもっと飛躍することができるのではないでしょうか。

 

 

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