アメリカにおいて2月は"Black History Month"との事で各地でアフリカ系のイベントが催されるらしいです。
キング牧師やローザ・パークス女史等の偉人を讃えたり、黒人の歴史を振り返りそれに誇りを持ち意識を高めるのです。
彼らの祖先は想像できないほど過酷な歴史を辿っています。
個人的にも黒人と沖縄人は扱われ方において似たような部分があったと強引かつ勝手に解釈して親近感を持ってたりします。
彼らの文化も好きですし。
歴史上、数ある黒人解放に関する逸話の中で好きな(?)出来事の1つにアメリカのセントラル高校に黒人生徒が初めて入学、登校した話があります。
教育、職業、乗物など、平等の機会・施設が用意されていれば白人と黒人を分離しても合法という1896年の最高裁判決は'Separate but equal'(分離すれど平等)として南部に深く根を下ろしていました。(中略)1954年に「公教育の場における人種分離教育は違憲」という最高裁判決となり、黒人の教育環境を一新する契機となりました。
セントラル高校に黒人が入学を許されてから記念すべき初登校の日に、白人在校生達は暴動寸前になるほど憎悪をあらわにします。
上は登校時に白人女生徒に罵られる黒人女生徒エリザベスの写真。
罵られながらも毅然と学校へ向かうエリザベスの姿。 *1
15歳の少女にこのような仕打ちはあまりに苦痛だったでしょう。
一体どちらが美しくてどちらが醜いだろう。
そんな困難を入学後もずっと味わいながら彼らは戦い続け今の(表面上ながらも)平等の礎となった訳です。
これだけでもとてもいい話なのですが、本当に美しいと感じた部分が他にもあります。それは彼らを入学時から助けた白人がいる事です。
エリザベスは差別的な言動を受けながらも、その中を少数の白人生徒のエスコートによって学校まで辿り着いたそうです。
被支配側にいながら自分の良心に基づいて「同じ人種」と対立するとわかっていても行動してきた人たちもいるのです。
単に「白人対黒人」という構図では語れない、人間の苦悩や葛藤がそこにはあったのです。
そしてこの話にはさらに素晴らしい続きがあります。
あの歴史的登校から数十年後。
エリザベスを罵っていたヘイゼル・ブライアント(白人女生徒)が直接エリザベスと会って謝罪し、そしてエリザベスはそれを受け入れ彼女を許しました。
過ちを認め謝罪する勇気。
許す強さ。
人は変われるんだと感動し勇気をもらいました。
世界平和の為の集会があったり、差別反対なんて言ってもなかなか実現しません。
それは問題を先延ばしにしたり、スケールを大きくし過ぎて自分と遠い話にしてしまっているからではないでしょうか。
世界を変える前にまず自分が変わらない事には何にもならないと感じます。
世界平和を願うと言いながらその後身近で出会う人々、出来事に怒ったりする自分の心を省みなくてはなりません。
例えば店員の態度に対して怒るとか、家族・友達に対して怒るとかね!
*1:実際には非常に大きな恐怖を感じていたそうです。当然ですね。