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今を生きる

沖縄の言葉と違和感

「方言禁止記者会見」というバラエティ番組のコーナーが炎上しているとのことです。

琉球「方言禁止記者会見」に見る「普通の日本人」の植民地主義 - yktのブログ

沖縄では方言が禁止された時代が実際にあったのでその差別的な扱いを繰り返しているという批判でした。

 

初めに書いておくと僕は沖縄人ですがこの件が「差別だ」とも「そうではない」とも言いません。

そこには違和感があるとだけ言っておきます。

 

まずこの騒動で沖縄の人が不在のままな点に違和感があります。

当事者であるはずなのにその存在感はないまま賛否両論繰り広げられています。

しかしでは一体誰が当事者なのでしょうか。

出演者?沖縄人全体?

 

当の沖縄でも昔から沖縄の言葉をネタにした笑いはあります。


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沖縄の人は自分たちの言葉と扱いが違うことをわかっていてその違和感を笑いに変えているのです。

沖縄の人も言葉をネタにしているからあの番組は問題ないでしょうか。

 

個人的にも沖縄方言の使い方について違和感を覚えた体験があります。

一昨年「薔薇とサムライ2」という舞台を観たのですが、その中で沖縄をモチーフにしているであろう島民の役がありました。

案の定沖縄の言葉を使ったのですが、それは元の言葉の意味とは違うダジャレ的な使い方でした。

そこにはかなり違和感がありました。リスペクトはなかったと思います。

自分の中に沖縄人としてのエゴを感じた瞬間でした。

 

この「沖縄人」とは一体何なのでしょうか。

あまりにも当然のことですが沖縄にもいろんな考えの人、属性がいます。

それをまとめることにも違和感があります。

沖縄出身の芸能人はよく沖縄をネタにすることがありますが、僕からしてみるとあまり沖縄っぽさを感じません。結構無理して言ってるように見えます。

例えばりゅうちぇるさんが沖縄出身だと知った時は驚きました。

というのも沖縄では生きづらそうだと思ったからです。

沖縄はマチズモ、ヤンキー文化的な面があるので彼のようなタイプは合わないことが多いのです。(ちなみに僕もそんなに合わない)

テレビでは無理して沖縄っぽさを出していたのではないでしょうか。

そうしていろんなことを押さえ込んだ結果苦しんでいたのかもしれません。

彼の私生活をネットで「典型的な沖縄の男らしい無責任さ」と言っている批判を見かけました。

その意見にはあらゆる偏見と無知が詰まっていると反論したいのですが、りゅうちぇるさんのことも「沖縄人」のこともよく知らない僕は反論が正しいという自信もありません。

 

沖縄は他の都道府県とは違う部分が大きいと思いますが、言葉以外に苗字もあります。

苗字を見ただけで沖縄の人だとわかります。

しかしそれは過去に日本風の名前を名乗ることを禁じられたという歴史の名残なのです。

差別的な取り決めが皮肉にも沖縄人としてのアイデンティティを守ることになっているのです。

yktさんのブログで書かれている

また琉球の人もそこに気づくことができないという恐るべき状況にある。

という部分に通じるかと思います。

 

そういった差別の歴史を知っている人達があの番組を批判しているのでしょう。

沖縄の人への扱いは割と気を使っている人が多いと思います。

しかし一番大きな本当の差別問題については常に放置されたままです。

それは米軍基地です。

基地問題について話そうとすると、中国の脅威が、安全保障が、地政学的に〜という意見が増え、だから沖縄には基地が必要なんだという結論になってしまいます。

しかしそれこそが沖縄を差別しているからこそできることなんだと気づいて欲しいです。

同じ日本だと思っていたならばその領土を自ら開け渡そうとはしないでしょう。

琉球侵攻、沖縄戦、方言札から基地問題まで全てひと続きの差別の歴史があります。

 

この番組についてに戻りますが、沖縄の人も概ね面白がる人が多いのではないかなと思います。(ちなみに僕の父親は子供の頃学校で方言を話したら先生に殴られたそうですが、僕の時代は当然そんなことはなく世代間でも分断があります)

そしてその笑いは自分たちが置かれている環境の異質さが浮き彫りになる違和感が生み出しているのではないでしょうか。

自由と多様性

「多様性」

近年重要性が増し続けている言葉です。

自由で闊達な社会。そこではいろんな人の生き方が許容されている。

そんな理想の社会のキーワードであると思います。

日本に従来からすでにある多様性について考えてみると、果たして自由は多様性を生み出す素晴らしいだけのものなのだろうかと疑問が湧きました。

 

日本にも現在多様性がないわけではありません。

その多様性には地域による文化の違いがあると思います。

北から南に長い日本で土地土地の文化を比べると同じ国でも差異があります。

それは既存の多様性と呼べないでしょうか。

そしてその多様性は様々な規制という不自由によって生み出されたという、現代の多様性という言葉から想起される印象からはかけ離れた面があると思います。

 

例えば食文化。日本は各地に名物の食べ物があります。

それは物流の規制によって生み出されたものです。

例えば山側の土地と海側の土地では採れる食材が違うので料理も当然変わってきます。

しかも冷蔵技術のない過去であれば近い場所で消費するしかありません。

そうやって土地に縛られることで名物料理は発展していったはずです。

さらに人の移動の制限という人権の規制もあります。江戸時代において藩とはそれぞれ別の国であり一般人の自由な移動はできませんでした。

これは鰹節の歴史を調べた時に感じたことです。

鰹節の歴史|株式会社にんべん

鰹節を作る製法は機密事項でありそれを別の藩へ伝えた職人はその罰として故郷へ帰ることが許されなかったということです。

鰹節がいくつかの製法があったのはそうやって産地の藩がそれぞれ秘密にしていたからなのです。

近代であれば国が指導員を派遣していいものをどこでも作れるようにして製法が同じになってしまうのではないだろうかと考えてしまいました。

 

その他沖縄人の僕が感じることには沖縄の苗字があります。

沖縄の苗字は県外の人と比べると独特なものが多く、苗字を聞くと沖縄の人(またはルーツ)であるとわかります。

それも日本の多様性の一つに数えられるのではないでしょうか。

しかしその独特な苗字は琉球薩摩藩に侵略された後に日本風の苗字を名乗ることを禁じられた不自由の名残でもあります。

表向き琉球の独立を装って中国との交易を続けさせるための工作でした。

そして何と皮肉なことにその差別的な法律が独特な苗字を現代に紡ぐことになり、沖縄の人たちにとってはアイデンティティにもなっているのです。

 

現代へ戻り多様性について考えてみると、それは声高に叫ばれていて、絶対にいいもので受け入れるべきだというような押し付けがましさを感じる人が多いように思われます。

グローバリズムという自由は巨大な商業チェーンを発展させ地域的な小規模文化を消滅さえさせてしまっているでしょう。

全国どこにでもマクドナルドやスターバックスがあるのは多様性でしょうか。

以前から地域の発展は「東京のようになること」という紋切り型の価値観があるように思えます。

地方へ行った時の地元の人の「ここには何もないでしょう」という謙遜のような言葉にはその意識が隠されていないでしょうか。

 

既存の多様性は規制による分断が生み出し、現代の多様性は融合による画一性を生み出す。というこれまでのイメージとは逆の側面もあると思います。

しかしその多様性が認識できたのはやはりそれを知ることができた自由があるからです。

創造と破壊は今までも行われてきたことであり、自由はこれからも既存の多様性を破壊しながら新しい多様性を生み、広めていくことでしょう。

その時重要なのは「自由や多様性ならばなんでもいいわけではない、それは人を幸福にさせるか、人権を高めるものであるかを第一に考えなければならない」ということです。

カリフォルニアロールに対する誤解

海外の料理に関する記事に書かれるブックマークコメントで、カリフォルニアロールが引き合いに出されることがある。

大体は日本人の感覚からしたらあれくらいの違和感なんだろうとか、寿司をわかっていないアメリカ人が作った変な料理みたいな内容が多いと思う。

嘲笑、揶揄、拒絶といったネガティブな印象がほとんどじゃないかな。

でもはっきり言って全部間違っているんですけどね。

まずカリフォルニアロールアメリカのカリフォルニアで作られたんじゃなくカナダで生まれた寿司だし。

そしてアメリカ人でもカナダ人でもなく日本人が作り出した新しい寿司なんだよね。

という風に前提が全部間違っているからカリフォルニアロールに関して思い浮かぶイメージ、気づきだと思ってるその全てが間違っているんですわ。

その勘違い見てて恥ずかしくなるよ。

勘違いを元に外国人の感覚を揶揄する人とか逆にバカっぽいもんね。

あれは日本人が寿司を異国の地の素材でなんとか現地の人に食べてもらおうとした創意工夫の結晶なんだよ。

ということで知らなかった人は認識改めてください。

 

「カリフォルニア・ロールの生みの親=東條さんの店が19周年迎える」

日本の成長速度を上げる

よくニュースで先進国の中で日本だけ成長率が低いという記事を目にします。

ポリコレ、環境の意識面でも日本だけ遅れているというふうに指摘されることが多いと思います。

ではどうやったら改善されるのかという方法の一つとして「元号の使用をやめる」を提言します。

契約書、各種申込書で日付の記入欄があると基本的に年号を書くことになると思います。

そうすると今が何年なのかよく分からない時が多々あります。

この記事を書いている時は令和5年ですが令和が始まる前に発行された免許証などの有効期間は平成のままです。

平成35年まで有効って言われてもいつか分からないよ。って今年だった!あぶね〜。

始めから西暦で書けば全てがスムーズになるので色々な手続きが効率的になるのではないでしょうか。

 

しかし、それよりも効果が大きいと思うのは「意識が変わる」という面です。

古い物事の考え方をよく「昭和的だ」と表現し、新しい意識を目の当たりにすると「これが令和か」と思うことがよくあるのではないでしょうか。

ネットではよく見かけます。

そのように日本人は年号で意識が大きく変わるのではないかと思います。

それでは海外、主に西暦を使う西洋社会ではどうなのかというとそれは「10年単位」だと思います。

これはツイッターやインスタ等に書き込まれる海外の人のコメントを読むと分かるはずです。

我々日本人が昭和、平成で語るようなことを80s,90sとかで表現しています。

日本では時代によって元号が何十年も続きますが、西洋社会では10年で区切りをつけ、意識もそれに従って進歩しているように思えます。

その証拠に10年ごとを区切る"Decade"という言葉すら存在します。

日本人が大きく意識を変えるのに30年か、またはいつになるか分からないところを海外の人は10年で必ず区切りをつける。

そうやってどんどん進歩していったから今あらゆる面で大きく差をつけられているのではないでしょうか。

というわけで西洋的な進歩速度を得たいならば元号の使用をやめることは一つのきっかけとして有効なのではないかと考えます。

もちろんそれを認識した上で「いや日本は独自の伝統を守っていくんだ」という意気込みがあれば話は別なのですが、その発想に至る人は少なくただ慣習としての年号に書類を書くときにだけ煩わされながら生きていくことになるのでしょう。

 

ところで世界では独自の年号を使う国も結構あってそれを知ると世界の複雑さも一瞬垣間見ることができると思います。

広告に思うコロナ禍での旅行

こんな広告を見かけました。

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航空会社の航空券値下げキャンペーン広告です。

秋の国内旅行、ご予約は今がチャンス!だそう。

この時期に旅行ですか。

政府も会社も行くなって言ってますよね。

SNSに「旅行しました〜♪」なんて上げたら批判もされそう。

でも旅行会社的にはこれはやらざるを得ないし、別に禁止もされてはいません。

と言うか値下げしたら余計苦しそうですがやらないよりマシなのかなあ。

それはそれでたくさん人を集めるってことになるけどな。

緊急宣言対象地以外ならいいのか?ただそんなことはどこにも書いちゃいないけどね。

うーむ。。

 

去年からずっと続いている「自粛」の呼びかけってなかなか残酷ですよね。

みんなが出かけなければ確かに感染は広がらない。

でも営業しているお店はどうしたら?

こんな時でも行く人は批判の目で見られがちでしょうが、実際にはそういう人たちが支えているわけですよね。

これは政治の役割だと思うんだけどな〜。

この不透明で息苦しいな状況は一体いつまで続くのでしょうか。

バイトテロはなぜ起きるのか

近年コンビニ、飲食業のアルバイト店員がSNSにお店でふざけた場面を投稿して炎上する、いわゆる「バイトテロ」が起きるようになっています。

では、なぜバイトテロは起きてしまうのでしょうか?

若者の倫理観が欠如してきているから?

SNSによって承認欲求が掻き立てられるから?可視化されただけ?

しかしそれらは表面的なイメージ、バイアスでしかないと思います。

根本的な原因としては「バイト代が安すぎる」という点が非常に大きいと思います。

企業は人件費を浮かせるためにアルバイト等の非正規雇用を前提でビジネスモデルを作っています。

そしてその中で利益を最大化するためにアルバイト店員の業務負担を増やしています。

コンビニやファストフードチェーンの店員さんはバイトであってもやることがとても多いと思います。

コンビニなんかは客目線でも取り扱うサービスがどんどん増えてますよね。

でも給料は少しずつしか上がりません。

はっきり言って日本のアルバイトは仕事量に対して給料が低すぎるのです。

マクドナルドの店員さんなんか明るくてよく働く人が多いので僕は好きです。

だからその報われなさが非常にもどかしい。

なので個人としては変なクレーム入れたり悪い態度を取らないようにしたいです。(もちろんどこの誰に対してもですが)

横柄な客も仕事に対して嫌気がさす原因の一つになると思います。

客は神様って思考は三波春夫以外は捨てたほうがいいよね。

 

しかし企業はバイトテロが嫌ならば時給を上げるしかないし、その責任を負っています。

真面目な人に対して支払う給料が高くなるなんてことは当たり前のことです。

それなのに今までは真面目でもたくさん働いても見返りは少なくて当然のこととして利益を吸い上げていました。

バイトだけのワンオペや経営にかかわる業務まで担わされることもあります。

不景気が長く続いた中で育った若者には社会の歪み*1が重くのしかかっているので、そのストレス・責任の重さに対して釣り合わない給料は真面目に働こうという気にはさせてくれません。

バイトテロとはその名の通り「企業の労働搾取に対する無意識のテロリズムと言えるのではないでしょうか。

もちろん「いいぞもっとやれ」などとは思いもしませんが。

だから企業がバイトテロを防ぐ一番の方法としては給料を上げるのが効果的です。

そうすればみんな自然としなくなるし仕事も頑張るでしょう。

もしくはパ◯ナみたいに労働者の逃げ道をなくして従順にさせるかですね。

長い目で見れば日本にとってどれが国益に適うのかは一目瞭然なのですが、それをわかっている人が政治家や選挙民に少ないのか現実は後者になっているため、日本はどんどん袋小路へと突き進んでいるように思えます。

少子化なんかはそれらの結果ですよね。

というわけで僕はバイトテロが起きた企業に対しては同情よりも「起きて当然の環境なんだろうな」と冷ややかな目線しか送ることができません。

ですが大多数の人は騒動を起こしたバイトの若者を正義の拳で叩くことしか考えられません。

我々自らが作り上げたストレス社会の鬱憤のはけ口にして民衆同士で首を絞めあっています。

企業の責任であるということに気づいて追及する声が大きくなれば我々市民はもっと幸福になれるはずなのですが。

*1:奨学金返済、就職難、多重バイト

政権交代が日本を良くする

内閣支持率が低下し続けて過去最低の31%にまでなってしまいました。(5月22日時点)

mainichi.jp

それでも31%あります。

あんなにひどい政治しかしていないのにまだ31%もあるの!?と思う方も多いでしょう。

しかし僕はこの数字には理解できる部分があります。

だって菅首相はちゃんとしているから。という訳ではありません。

支持する側の心理的な働きとしてです。

まず愛国心を政権支持に重ねてしまっているというパターンです。

world24pong.hatenablog.com

それから他に支持する政党が無いという消極的支持のパターン。

あとは苦境に陥ってしまうと大きな変化を嫌うというパターン。

この辺りがだいたいの理由なのでは無いでしょうか。

しかしこのままではいけない。政権交代するしかない!

ではどこの党にしたらいいでしょう?

野党第一といえば立憲民主党!!

・・・でも立憲民主党はちょっとアレだしな・・。

じゃあ共産党?社会の仕組みが変わり過ぎそう・・・。

社民?れいわ?さすがに荷が重いよな・・。

今コロナ対策もしている最中だしこのまましばらく自民でいった方がいいか・・・。

 

はい。これが多くの人の考え方だと思います。って人のせいにするのは良くないですね。

これは僕の考え方でした。

上に挙げたパターンにはまっていました。(愛国心と政権支持を重ねることはありませんでしたし自民支持者でもないですが)

支持政党がない分どこの党の姿勢にもどこかしら足りない点があると思ってしまいます。

しかし考えていくうちに「どこの党に政権交代するか」ではなく「政権交代すること」自体が日本を良くするのだと思うようになりました。

その考え方に至ったのはアメリカ大統領が変わったことがきっかけでした。

トランプさんからバイデンさんになって政策が大きく変わりました。

その新たな大統領令が目立ったのはトランプさんがやったことの軌道修正だったからです。

政権交代することで前政権の良くなかったことを正すことができるのです。

身近なことに当てはめてみても企業の労働者や公務員に異動は付き物です。

そうやって業務改善を促すだけでなく不正を防止するという働きもあるのです。

長く同じ場所にいると利権関係者と癒着して不正してしまう人がいるからです。

では現政権はどうでしょうか?

長期にわたって実権を握ってしまったせいでお友達企業へ税金を横流しするような行いが多くなっています。

それを打開するには政権交代によって腐敗した土壌を入れ替えるしかありません。

過去にあった民主党への政権交代は「悪夢の民主党時代」と揶揄され続けていますが、悪いことばかりではありませんでした。

高校の無償化はかなり助かった人が多いはずです。

そうやっていいところは残して悪いところは次の政権が修正する。

それを繰り返していくことで日本はどんどん良くなっていくことでしょう。

というわけでどこが政権を担うかではなく、定期的に政権交代すること自体が政治の健全さを保つのではないでしょうか。

そしてそれには日本人が変革への覚悟を持って一歩を踏み出さなければいけません。

この国がまた焼け野原になる前に自分たちの手で変えるしかないのです。

 

 

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